Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “影も姿もA

 



          





 暦の上では春も間近いが、気候的にはやっぱり極寒。時折 気まぐれに暖かな雨も降らないではないけれど、そうなればなったで空いっぱいに雲が垂れ込めるのが鬱陶しく。何だかんだ言っても結局は、まだまだ火の傍らにいたい気候が続く。
「そういえば、そろそろ“追儺(ついな)の儀”がございますね。」
 既に仏教の信仰もかなりの勢いと範囲で広まってはいるけれど、帝の始祖である天照大神を祀る関係もあってのこととして、朝廷の、つまりは政府の執り行う儀式には、神道系のもの、季節の折々に邪を祓うという種のものが断然多い。広間にてのお勉強の傍ら、書生のセナくんが口にした“追儺の儀”というのは、立春の前に行われる厄払い。今で言うところの“節分”の元となった儀式であり、疫病や災禍の化身である“鬼”をどこか遠くへ追いやるためにと、大掛かりな祈祷を施す。そこから“鬼やらい”とも呼ばれていて、民間へまで降りて来るのはもっと後の話だそうだけど。それが終わるとさしもの冬将軍も北への帰還をという準備にかかるのか、ここいら辺りではぐんと暖かくなるからね。小さなセナくんも、それをこそ楽しみにしているというお顔を見せているのだが。
「ま、そういうのは神祗官殿が一族挙げて頑張りなさるそうだから。」
「おいおい。お前はどうすんだ。」
 きっちりサボるような言いようをする彼へ、葉柱が呆れたように言葉を継ぐのも今更のこと。言ったからとて正されると思ってはいないところまでがお約束のままに、一通りのやりとりがあり。さてと、話題を切り替えてのこと、
「じゃあ此処の体系を浚って、今月の仕上げとするからな。明日までに暗記しておけ。」
「は、はいっ!」
 昨日はみかんを巡ってあんな口利きをしたくせに、お勉強に関しては、あんまり“え〜?”などという甘ったれた不平や口答えはしない子で。学習用にと作った冊子や書き取りの草紙を、自分用のとしていただいた文箱へと収めると、平机の縁におでこがつきそうなほどの、きちんとしたお辞儀をするセナであり。そんな所作が、ほぼ毎日のことなのにいつもいつも可愛らしくってならず。今日も淡い虹彩の瞳を細めつつ、ほのぼのと見やっていた蛭魔であったが、

  「………お師様?」

 顔を上げたセナが、ちょこっとばかり怪訝そうな顔をした。今日はお天気もいいからと、濡れ縁に近いところまで机を寄せてのお勉強で。御簾を上げまでするとさすがにまだ寒いから、一枚だけを上げていたそこから降りそそいでいた陽光が。額にかかるセナくんの柔らかな髪を甘く温め、そして、向かい合って座っていたお館様の、それは珍しい金の髪をも、日頃よりも淡く淡くけぶらせていたのだけれど………。

  「あのあの。」
  「どうした?」

 何か言いたいらしいのに、なのに言葉を濁らせる。そういううじうじした態度が一番嫌いな、結構な癇癪もちの蛭魔であると。セナもそうだが葉柱だとて、重々知っているはずなのに。後から思えば、これこれと窘めるなり割って入るなりして仲裁して如るべきこの流れへ、なのに手をつかねていた葉柱だったのは。本人へどう伝えればいいのかというところ、まだ踏ん切りがついていなかったのだと偲ばれて。…そう。彼としては、まだ認めたくはなかったから。蛭魔が、彼の影が、

  「お館様の影、何だか薄くはありませんか?」
  「……………ああ"?」

 言い回しが言い回しだったので。面白いことを言ってくれんじゃねぇかよと、そのまま噴火しかかった蛭魔であったが………その前に。傍らの板張りの床を、ちょうどセナがそうしているのと同じように、顔を横向け、まじまじと見やってみる。陽光だけなら春と言ってもいいほどの、今日は朝からいい日和であり。その陽射しが濃色の床へと降り落ちているのを遮って…向かい合う二人の主従の影法師が板床へ刻まれており。頭の輪郭が淡いのは、髪の色のせいなのだから不審でもなんでもないのだが、そこから袷(あわせ)の衿へと連なる首元や、少々お行儀の悪いこと、片膝立ててるその膝頭へと乗せていた、袖から出ている手と手首など。着物のない部分の身体の影が…セナが言ったその通り、妙に薄いのは何故だろうか。
「…これは。」
 胸元辺りへと持ち上げた、自分の白い手のひらを。あらためて眺めやった蛭魔は、ややあって…その金茶の瞳を強く見張ると、それを解くように緩く息をつきつつ顔を上げた。

  「影が、ではないようだぞ。俺自体が薄くなっとる。」
  「…それって。」
  「こうまで輪郭が淡くて、しかも透けているのは、
   陽が目映いからでも、俺の視力が弱くなったからでもなさそうだからの。」

 陽光が手のひらの血管を透かすということは、まま偶(たま)にはあろうけど。そうではなく…手の下、机の上に広げてあった書物の挿絵の、濃い墨色が、手のひら越しにぼんやり見えるとなると、それはやはり。………そして、

  「…お前は。昨夜のうちから気づいておったらしいの。」

 何しろ“退魔”についての咒や何やも浚うので。書生くんとのお勉強中は、いつもだったら何処ぞかへ、そそくさとその姿を消しておる筈が。今日は珍しくも朝からのずっと、傍らに居続けていた黒い髪の侍従へ向かって。蛭魔は何かしら確信を持った強い声をかけていたのであったりした。







            ◇



 実を言えば。この式神の様子が妙だったのは、何も昨夜に始まったことではなくて。
「そっか。お前が時々何か言いたそうな顔をしてたのは、このせいだったか。」
「…すまん。」
 気配が微妙だなという程度に何となく察してはいたが、てっきり彼の側の事情か何かだと思ってた。だがまあ、言いたくなければ言及はせぬと、いつもと変わらぬ姿勢で居たらば、こんな事態であったとは。
“俺の側もずぼらではあったということかの。”
 こちらをじっと見やっては、そのままどこか怪訝そうな顔になってしまうのへ。されど…蛭魔が気づくその度に。詳しいことは語らないまま、黙ってこちらの痩躯を懐ろへまで、抱き寄せてくれてた葉柱だったから。あまりに暖かで優しくて、その心地よさに包まれたまま、ともすれば蛭魔の側でも…ずっとはぐらかされていても良いかななんて思っていたほどであり。
「とにかく原因が掴めなくてな。」
 どんどんと、その肌が透けるようにまで白くなってゆくものだから、最初は何かの病なのかと思った。だとすれば、自分は邪妖だから人の患いにはあまり詳しくはない。そこでと、こっそり進へ相談してみたところが、これは単なる消耗ではなく、彼の生気が次界壁を通じてのどこやらへと消失してのことだという。
「何とか進行を遅らせようと、俺と進とで、それなりの結界を張ってもいたが。」
 とうとうセナにまで判るほどにもなってしまったということは、
「効果はなしか。」
 別に責めている蛭魔ではないのだけれど。それでも…不甲斐ないと思うのか、何とも苦しげな顔をしてその唇を咬みしめる葉柱であり。今は彼ら二人しかいない広間の中ほど、項垂れたことで影の落ちた精悍な顔は…隠していなくて良くなったせいもあってのことか、何とも力ない、頼りない表情に見えてしまう。

  “ということは、人間からの“同族殺”系ってことだな。”

 邪妖からの怨嗟攻撃ならば、蜥蜴の邪妖を束ねる総帥である葉柱に察知されない筈はないし、悪霊などなども含む“陰体全般”が相手となったらなったで、あの進が見逃す筈はなく。ただ…生きている存在が放つものともなると、これがなかなかにややこしい。欲求が複雑な“人間”の思惑というのだけは、複雑だからこそ始末に負えない部分があって。本人は深い愛情や手厚い親切心から働きかけているものが、相手へは迷惑だったり、辛い仕打ちだったりというのは特に珍しい話ではないし。愛が有り余っての暴挙ともなると、他の誰にも触らせたくないからとか、今の美しいままでいてほしいからと言い立てて、一緒に死のうなんて方向のものまであったりするから恐ろしく。
「始まりはきっと、ずっとずっと前からだったと思うのだ。」
 ある意味で根気の要る、特殊な咒。最初は草のような苗がどんどん育って、遂には頑丈な樹木へまでなるように。か細い想いが…人知れず寄越されていた視線が、根気よくも長く長く、少しずつ少しずつと日を経るに従って、どんどんと執拗に練られていって。今や、この蛭魔ほどの術師でさえ振り払えぬほどに、その身の奥深くにまで食い込んでしまったという手合い。だからこそ気づかなかった彼らだったし、それに、

  「お前だけを逝かせようって咒ではないらしいのだ。」

 相手を呪うそれならば、かなりの精神力が必要となる。ましてやその標的は、陰陽師としての実力も経験値も当代随一と言っても過言じゃなかろうし、直接の殴り合いでも恐らくは…花のように麗しい、この容姿を裏切って、そこそこの腕っ節をご披露出来るという手のつけようがない暴れ者。その筋では怖いものなしで通っている、神祗官補佐役の蛭魔妖一殿なのだから、これはもうもう、半端な精神力で打ち倒すことなぞ出来るはずのない相手でもあって。術師を百人くらい集めねば、ちょっとした感冒に罹らせることとて不可能だろうに、こうまでの効果が出たほどの根深い呪いを送り続けてくるとなると。
「恐らくは、飲み食いも睡眠も、あらゆる糧や癒しや休息をも断っての念じを、途切らすことなく続ける種のそれを、何カ月もかけて送り続けているのだろうよ。」
「…成程の。そういう覚悟もあっての相手か。」
 普通に生活していての断食などなら、生体学的にみても そうまでの日数が保つ筈はないが、
“執念あってのものならば、判らぬことではないからの。”
 ずんと大昔には、岩屋などに籠もり、一切の食事や水を断って祈祷を続け、生きたまま“仏”になる“即身仏の荒行”というのがあったそうで。今はそんなとんでもないこと、人道に触れることだから絶対の禁止とされてますけれど。
「つまりはそういうところまで、自分の一念を極めた相手であるということか。」
 険しい顔になったまま、不意に炭櫃の傍らから立ち上がり。御簾を数枚引き揚げると、今日は薄日が射している庭へと向かい合った金髪の術師殿、
「そこまでになった頼もしい精神力があるのなら、いっそ他のことを やって面白おかしく生き永らえてりゃいいのによ。」
 こちとら良い迷惑だっつのと、どこから念じているとも判らぬ相手を罵
ののしる余裕がある、相変わらずな蛭魔だということへも、こちらはこちらで何とも言えない顔になる葉柱であり。
「敵が多過ぎんだよ、お前はよ。」
 冬の色を使った襲
かさねの衣紋。他の貴人とは、髪だの瞳だのが随分と異なる配色の彼だのに。そこも計算してのこと、絶妙に着こなしている優美な姿が、だが、これは気のせいかも知れないが、弱々しい冬の陽光が相手でも、太刀打ち出来ずに透かされているように見えてしまい、
「………。」
 そうと自分でも思わぬままに、やはり立ち上がって傍らへと寄っていた。まだ陽は高いわ、もしかしたなら人の目にだって遮るものはないわという場面でありながら、馴れ馴れしくされるのは嫌がるはずが、こちらの心情まで察してか…それとも、彼とて不安ではあるからか。長い腕が、その背中から胸元へ、上背を引き込むように抱き締めたのへも抗う気配は見せぬまま。やりたいようにしなと、振り払いも逃げもせず、されるままになっている蛭魔であり。

  「こういうの、相手へも見えているのかの。」

 相手は俺を道連れにしたい野郎だ、だったらさぞかし怒らせているのかもなと続いたのへぎょっとして、あわてて離れようとした手を、蛭魔の側から捕まえた。
「おい…。」
 コトを自分から荒立ててどうすると紡ぎかけた葉柱の声を遮り、
「何を怯む。」
 見上げても来ないまま、されど、放たれた声は強かで。
「何なら守り通して見せろよ。」
 お前、いつだって言ってたろうが。危急の時は眞の名前を呼べと。何があっても どんなに遠くても駆けつけるから、助けるからと。
「あれと同じことではないか。」
「…そうだな。」
 助けてみろと言いつつも、結果的にはこちらへの叱咤激励であり。やはり胸を張ったままの彼なのが、自分の存在がかかっていることだというのに何と気丈夫な男かと、こちらの胸がすいたほど。

  “…助けるさ、何をおいても。”

 彼の命を、彼の信念を、決して誰にも何物からも折らせてはなるまいぞと。自分の命を削ってでも絶対きっと守り抜くぞと、堅く堅く誓ったのは伊達や酔狂からではないのだから。この自分が彼をと見込んだからこそ結んだ誓約である以上、全う出来なくてどうするか。





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